2019年の春、父の喜寿を祝う会食の席に選んだ上野水月ホテル『鴎外荘』。
それから約1年後の2020年5月。めまぐるしく変化する観光宿泊業を取り巻く状況と、新型コロナ感染症蔓延のあおりを受けて惜しまれつつも閉業されたそうです。
2020年、花見さえも自粛するほどに暗く静かな春を迎えましたが、そのちょうど1年前の桜満開の頃に訪れた「鴎外荘」は明治の文豪・森鴎外が「舞姫」を執筆したという旧邸が当時の姿のまま保管されていました。
たった1年前のことだけど何だかもう遠い昔のような気がしてならないのですが、いろいろと故障個所はあるものの、77歳になっても相変わらず酒飲みな年寄りを喜ばせようと選んだのがこの「鴎外荘」でした。
鴎外がその筆を走らせた「舞姫の間」とされる三間つづきのお座敷は予約が取れませんでしたが、艶やかな紫檀のテーブルセットと新緑の坪庭が印象的な「於母影」という個室でお祝いの御膳をいただくことができました。
森鴎外については教科書のなか程度のことしか知識がなかったのですが、とても優秀な方だったようで幼いころからオランダ文学に親しみ、ドイツ語を学んだりしていたそうです。
鴎外の父上が開業医だったこともあり東京大学医学部を卒業し家業を手伝い、軍医、陸軍軍医学舎教官に選ばれるなど医療従事者として活躍しつつ、文学についても旺盛に活動を続けていたとのことで、その優秀さがうかがえます。
約80年の歴史を持つ水月ホテルですが女将さんが雑誌のインタビューにて、東京で競合相手となる新しい宿泊施設にはなかなか太刀打ちが難しいことや、この新型コロナ感染症の蔓延で開店休業状態の日々が続いたことなどを語られていました。
閉業の検討と時期についてはかなりの短期間しかなかったそうですが、百万単位ものランニングコストが一日で発生するため、このまま続けていては最後まで従事されている方へのお給料や退職金を用意することも、鴎外荘を貴重な文化財として残すこともできなくなってしまうと判断し決断されたようでした。
ホテルの歴史としては約80年と書きましたが、鴎外荘は130年以上の時を経て今日まで守られ、大切にされてきたそうです。波のような意匠の瓦も珍しいですね。
今の場所のまま保存されるのか、どこかへ移設されるのか、どのタイミングでそれらが決まるのか、これから色々と見えてくるのだろうと思いますが、いつか一般へ向けて公開される日が来たら再び訪れたいと思いました。
木製のサッシが残る縁側。
台風や地震も多く、木と紙で工夫を凝らして培われてきた生活文化の背景で、このような歴史的建造物を保存するには大変な努力と技術、莫大な資金が必要だろうと思います。
自然災害によって、または戦争や政治的な理由で人為的に失われた日本の文化財はもう元の姿を取り戻すことはできませんが、少しでも後世に残すことができたらと願うばかりです。
知恵も技術も財力もないぽんこつは、一般客として施設を利用したり足を運んだりなど、庶民的な方法でしか保管や保存に協力できませんが、生きている限り多くの場所を訪れてこうして文字に残せたらと思います。
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