牛乳・生クリーム・バター・チーズなど…乳製品が大好きなぽんこつです。
幼少の頃、母が作ってくれた鮭のムニエルに添えられたソースベシャメルやオーブンでこんがり仕上げたマカロニグラタン、バターがふんわりと香るピュレ・ド・ポムなど!この世のものとは思えぬ美味しさに気絶しそうな衝撃を受けたことを思い出します。
何でしょうね。このまろやかで別味を優しく包み込むように調和する不思議は。
実家はファミリーレストランなどを利用することを強く拒むスタイルだったので、よっぽどのことがなければグラタンやハンバーグ・スパゲッティなどを提供するファミリーレストランを訪問する機会は殆どありませんでした。
小学校低学年だった頃、お盆休みの家族旅行中に地方の一般道で大渋滞にはまり、食事をとる施設がほとんどない場所に現れた燦然と光り輝くローカルなファミリーレストランと、『デニーズ』や『すかいらーく』と名の知れたファミリーレストランではない『グルメドール8(エイト)』という謎のファミリーレストランが環七にオープンした時に冷やかし(親の)で連れて行ってもらったくらいの記憶です。
戦後間もない頃に生まれた母は今で言うところの食育?に非常にうるさく、駄菓子屋禁止・ファストフード禁止は当たり前、夏祭りでかき氷以外のものは絶対に買い与えもらえず、外食で焼肉屋もなかったなぁ…。たまーに出前でとってくれる、今は無き近所の不味いラーメン屋の広東麺がちょっとしたジャンクフードでした。
カレーやクリームシチュー、ビーフシチューも一般的に売られているルゥを使うものの足し算や引き算を盛大に施してすべて母の味。母の名誉のためにお断りしておきますが、決して美味しくないってことは無かったです。はい。
今思えば自営とは言え仕事をしながらの忙しいなかで子供たちに美味しいものを食べさせたい思いで手間暇かけてこしらえてくれたことに感謝しかありませんが、ちびっことしては学校の給食や児童会の集まり、友達の家の食卓に並ぶ普通のカレーやシチューはめったに食べることができない、究極のごちそうでした。
外食と言えば、父が酒飲みだったため割烹料理や大きな円卓を設えた本格中華料理店などばかりで、子供たちがどんなに強くファミリーレストランを要望してもその願いがかなったことは記憶の中でもほとんどなく、いわゆる「ファミレス」には常に強い憧れを抱いていました。
そりゃあもちろん、銀座の洋食屋にも大変美味なるグラタンやドリアはありましたが、絶望的に小さいのです。コーンスープは欲しいけど、サラダとか付け合わせのパンとか食後のデザートとか紅茶とかいらない。そのものだけを贅沢に、気が済むまで食べたかったのです。
母がこしらえてくれたとは言え、これらが食卓に登場する機会はそうめったやたらになかったので、自由にできるお金を持つようになり友達と過ごす時間が増えると、学校帰りにファミレスなどへ寄り道してグラタンやドリアを心ゆくまで堪能したもんです。
千葉のローカルファミレスだったかでお店の名前は残念ながら失念しましたが、16歳ころに出会い特に衝撃を受けたのは「スモークサーモンとイクラの和風ドリア」でした。
醤油と鰹節を混ぜ込んだほんのり香ばしいご飯の上には多すぎず少なすぎずのソースベシャメル、スモークサーモン、チーズ。オーブンでグツグツこんがりとした仕上げにイクラと海苔をちりばめてテーブルにやってくる。
いつ行っても同じ味なのに信じられないほど美味しいと感激し、毎回「世の中にこんなに美味いものがあっていいのか!?」と思いながら食べていました。
そして、帰宅してからもしっかり夕食はたいらげる…。若いって恐ろしい。
たかがファミレス。されどファミレス。
ファミレスが提供する洋食の美味しさは何物にも代えがたく、当時のぽんこつを魅了し続ける存在なのでした。
まだまだインターネットなどもなかったその頃、特別料理に目覚めたわけではないのですがあのクリーミィなソースをプロはどのようにして作っているのか、図書館や大型書店の料理本コーナーで気の向くままに専門書をめくったことを覚えています。
日本における洋食文化発展の壮大な歴史などの知識はございませんが、ざっくり調べると18世紀中期以降に「築地ホテル館」という外国人向け西洋式ホテルが建設され、開業時に総料理長として就任したフランス人シェフがもたらしたものとのことです。
様々な発展や時代の影響を経て、日々変化しつつも現在の日本の洋食文化があるわけですが、みなさんもよくご存じのコロッケ・エビフライ・カキフライ・オムライス・カレーライスもその発展と変化の中で日本発祥の洋食として今なお愛される存在となりました。
「世の中にこんなに美味いものがあっていいのか!?」と、衝撃の出会いを果たした頃は知りもしませんでしたが、ご飯の上にソースベシャメルをのせ、チーズをこんがりとオーブンで焼きつけた、アノ料理も日本発祥の洋食だったんですね~。
当時、あれはテレビで見たのか雑誌で読んだのか定かではないのですが、ドリア発祥の地は横浜にあるホテルのレストランということを知って、大人になったら絶対に行く!と心に決めていたことをこの年になるまですっかりと忘れていました。
そう。つい半年ほど前です。
横浜にぽんこつ実家の墓があるので、今までも1年に最低でも2回は横浜へ行く機会があったものの、両親とともにお参りした後の帰りは必ず中華街で食事をとっていました。
その家族の習慣も去年母が亡くなり、父が地方への引っ越しを決めたことで今年からはぽんこつとパートナーが引き継ぐことに。
今までは父母を気遣い、二人がお気に入りだった中華街で絶対にハズさない3軒ほどの店をその時の気分でローテーションしていたのですが、気遣うべき高齢の二人が不在の今、食事処の選択権は我々の手に渡ってきたのです。
これはもう、好きなところに行くしかない!
と、いう訳で色々とお店を探していく中「そういえば、ドリア発祥の地って横浜のホテルじゃ…?」と記憶はよみがえり、次回の墓参りの後には『ホテルニューグランド』へ!となりました。
クラシックホテルの代表例と言われる『ホテルニューグランド』は建築や内装にも歴史があり、とても楽しみです。ドリア発祥の地のシーフードドリアの詳細についてはまた別記事でお目にかかるでしょう。
余談ですが…。
クリームシチューを米にかけるかかけないかで話が盛り上がることってしばしばあると思うのですが、ぽんこつは出来立ての当日は固いパンで、残した翌日は米にかける派です。
ぽんこつが自分で作るクリームシチューはソースベシャメルをユルく仕上げたものなので、オーブン皿に敷いた米の上にシチューの残りをかけてチーズをちらしオーブンでこんがり焼いたら…ドリアですよね。
おかげさまで母の料理に対するこだわりをまんまと引き継いでしまったようなので、普段シチューやカレーを作るとなると意図せずとも固形ルゥを準備することは無いのですが、時には子供の頃の友人宅や給食で食べたあの憧れの味をふと思い出し、ウキウキしながらバーモントカレーを箱の裏通りに作ります。
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